沿革
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明治16年12月藩政時代から全国的に残っていた堕胎圧殺の弊風を矯正する目的で高知育児会を創立。高知市中島町の中山会頭宅を仮事務所とする。(本協会の起源)
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17年2月貧困児の居宅保護を開始。
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20年3月産婆授産所を併設。(明治40年9月廃止)
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31年11月民法の施行に伴い内務大臣認可のもと社団法人となる。
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41年田中稲生氏経営の高知育児院を吸収。
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42年 8月土佐慈善協会を合併し高知慈善協会と改称。 免囚保護の自彊舎(昭和21年4月司法系高坂寮として独立)及び報徳学校(昭和9年4月高知県に委譲。鏡川学園となる。現県立希望が丘学園)を土佐慈善協会から継承。
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43年 4月育児部を高知博愛園と改称。 初代園母に岡上菊栄が就任(~昭和22年3月まで)。
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大正 7年 4月博愛園で養老事業(居宅及び収容)を併設。(~昭和17年12月廃止)
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11年 4月診療所を開設、その後厚生医院と改称。 (昭和20年7月戦災により閉鎖)
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昭和15年 4月保育所小高坂双葉園を弘田里氏より継承。
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17年 4月保育所潮江双葉園を開設。
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20年 7月博愛園と事務所が戦災で焼失。 児童疎開の後、昭和21年9月高知市西弘小路に復興。
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21年 4月高知自彊舎を財団法人高坂寮に移管。
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22年 5月博愛園を高知市東久万土居の前に、事務局を高知市本町4丁目2-41に移転。
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6月母子寮撫子寮を高知市本町136に開設。 (昭和31年1月失火全焼、同年10月復興、昭和49年3月閉鎖)
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24年 9月養護施設愛仁園を高知市仁井田舟倉に開設。
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25年 3月国立療養所連絡事務を開始。(昭和41年8月廃止)
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8月本町保育所を開設。(昭和41年11月廃止)
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10月精神簿弱児施設万寿園(南国市大埇吾岡山)の開設に着手。 (昭和36年3月高知県に移譲。県立南海学園となる。)
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26年 5月母子寮三葉寮を開設。(昭和35年9月廃止)
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27年 4月社会福祉法の施行に伴い社会福祉法人となる。
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28年 4月保育所潮江双葉園に分園を開設。(昭和35年3月潮江第二双葉園と改称。)
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30年 7月本町健康相談診療所を開設。(昭和42年1月廃止)
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32年 7月養護施設若草園を開設。 (昭和41年9月社会福祉法人鎌倉保育園に移譲)
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34年 3月精神簿弱児施設はまゆう学園を宿毛市宿毛鉋場の尾に開設。 (昭和45年7月敷地崩潰のため同年10月宿毛市但島に新築移転) (昭和51年2月西南福祉協会へ移管)
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35年 4月分収造林事業を開始。(高岡郡大野見村大股、44.52ha、昭和48年度植栽完了)
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39年 9月愛仁園 老朽化のため高知市布師田1711番地へ新築移転。
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41年12月本町保育所の廃止に伴い、公立・民営方式により南街保育園を開設。
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12月博愛園を香美郡土佐山田町神通寺へ新築移転。
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45年 2月小高坂双葉園 老朽化により改築
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48年 3月精神簿弱者更正施設(重度併設)宿毛育成園を宿毛市但島に開設。 (昭和51年2月西南福祉協会へ移管)
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49年 5月高知市本町及び中島町の土地を売却。 南はりまや町2丁目14-9の土地建物を購入し事務局を移転。
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51年 9月潮江第二双葉園 老朽化のため高知市仲田町155へ新築移転。
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53年10月事務局を高知市潮新町1丁目12-13へ新築移転。
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57年1月潮江双葉園 老朽化のため現地において鉄筋コンクリート二階建を新築。
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57年 8月愛仁園児童棟(遊戯室並びに学習室)を新設。
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58年12月創立100周年を迎える。
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60年 4月高知市から南街保育園舎の無償譲渡を受ける。
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8月愛仁園幼児棟を新設。
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平成元年 3月博愛園幼児棟を新設。
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5月博愛園訓練棟を新設。
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10年 3月南街保育園 老朽化のため現地において鉄筋コンクリート2階建てを新築。
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15年 3月博愛園 老朽化のため隣接地に鉄筋コンクリート2階建てを新築。
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20年 3月愛仁園 老朽化のため現地において鉄筋コンクリート2階建てを新築。
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21年10月高知慈善協会本部を高知市布師田1711番地に移転。
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22年 4月博愛園開設100周年記念式典。
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24年 5月小高坂双葉園開設80周年記念式典。
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31年 2月小高坂双葉園 老朽化のため現地において鉄筋コンクリート2階建を新築。
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令和6年 3月愛仁園を改築し5つのユニットに分割。4月から小規模グループケアを開始。